中学校で職員会議を紛糾させた私が感じる「高校生政治活動届け出制」で個性をつぶす日本の教育への不安

高校生の政治活動を一部の県で制限する問題について話題となっている。

とくに愛媛県では県下の公立高校で政治活動を事前に届け出ることが校則に盛り込まれた。

愛媛の県立高校による政治活動届け出校則化から考える依存の構造
県民として残念なニュース 暗澹たる気持ちになった高校生の政治活動届け出化 政治活動届け出を校則化 愛媛の全県立高、県教委が例示:...

政治活動ではないが、自分が社会に対して漠然と子供ながらにあがいていた時期があった。

中学校の三年間である。

時代は多少変わっていて中学校と高校という大きな違いはあっても、本質的なものは何ら変わっていないと思っている。

その背景を自分の内側で掘り下げてみた。

0db048322406acb3c631aeeed97e7002_s

文章を書くきっかけ

自己啓発書を読み漁る

10代から20代前半に掛けて、ビジネス書、中でも自己啓発書を読み漁っていた。

ナポレオン・ヒル「思考は現実化する」やマーフィーなど手当たり次第に本屋で買ったり図書館で借りたりしていた。

中学や高校の頃はおそらく月に数十冊のペースで読んでいた。

自己啓発書を読み始めたのは、小学校6年の時、母が読んでいた鈴木健二「頭の使い方、私の方法」がテーブルに置いてあって、何気に手にしたことだった。

ちょっとした生き方のヒントや日常生活での工夫が人とのコミュニケーションを円滑にしたり、毎日を効率化するのに役立つことを知った。

それから、古本屋で鈴木健二が書いた著作をまとめ買いしてひたすら読んだ。

ベストセラーになった「気くばりのすすめ」をはじめ当時手に入る本はほぼ読み尽くした。

それから鈴木健二の本をよく出版している大和書房やごま書房のビジネス書、やがて竹村健一、落合信彦、多胡明、渡部昇一などなど、本屋のビジネス書の棚まで興味は広がっていく。

こうした経緯もあって自分の文章力は中学と高校の時に読み漁った自己啓発書に養われたと思っている。

ワープロで文章を書く

子供の手習いのような小説やエッセイは小学校4年の頃から祖父のワープロを使い始めて書くようになっていた。

それから中学校の入学記念に祖母に買ってもらったプラチナの万年筆で原稿用紙に自分の思いの丈を書くようになった。

中学校2年の思春期となり、文章の対象が学校や教育といった自分に身近で社会的なテーマへと変化していく。

決定的な影響を受けたボーイスカウト

小学校1年からやっていたカブスカウトをやっていて、小学校5年になるとボーイスカウトへと移行した。

ちょうどボーイスカウト団体の世話役をしていた当時60代のAさんが社会や文化、教育など、世の中を真剣に憂える人物でよくプライベートでもお話しを聞きにお家へお伺いするようになった。

メンター・Aさん

思春期の多感な時期に深く関わったAさんは、日本という国や世界との関係、地元の問題、教育の疑問点など、幅広い見識を伝えてくれ、子供ながらにモヤモヤしていたものをうまく引き出してくれた恩人だと思っている。今の言葉でいえばメンターということになるだろう。

Aさんの半生と社会教育

Aさんは戦前から関西で健児団活動(日本のボーイスカウトの前身)をしていた。スカウトとして、やがて指導者として子供たちを社会教育を通してよりよい日本にしていこうという願いがあったといつも話していた。

南京攻略から仏領インドシナ(現ベトナム)よりビルマ(現ミャンマー)進出まで敵弾をくぐり抜け、ときにはマラリアに罹って内地に送り返されて、また出兵してと、20代から30前後までひたすら兵隊として青春を過ごしていた。

戦争が終わって復員後、アメリカ文化センターというGHQの出先機関で働いていたとき、いわゆる3S政策の秘密文書を見て「学校教育ではますます限界がやってくる」と考えたAさんは社会教育の重要性を思い、戦前から続けていたボーイスカウト活動の再建に関わった。

一時期は中央での運営にも携わっていたそうだ。

しかし、ボーイスカウト発祥のイギリスから直接入ってきた戦前からの健児団の流れを重視するAさんたちは、戦後、アメリカを経由して変化したボーイスカウトを推進したい多数派と折り合いがつかず、要職を離れ地方の役所に勤めながらボーイスカウト活動に専念することとなった。

ボーイスカウトは本来、単にキャンプやハイキングをするだけではなく、日本という国と世界の関係について学んだり、社会問題や環境問題、文化や歴史について触れたりと、幅広い社会教育を行うものである。

そうしたボーイスカウトの懐の深さに、戦後の教育で欠落するおそれのある部分をAさんができる範囲で貢献したかったのであろう。

正義感の強さゆえの生きづらさ

もともとAさんは「正しいことは正しい」「悪いものは絶対に悪い」と善悪をハッキリさせる方だった。

役所で働くには当然『協調性』が重視される。

市民のためにならないことや不正の目があれば、どんな上司だろうが談判にいくわけで、やがて万年の窓際族となったようだ。

Aさんご本人からは詳しくは聞かなかったが、奥様からは「役所に勤めている間は、毎年のように春になると『また異動になったの?』と呆れるほどだったのよ」と笑いながら伺ったことがある。

生来、私も善悪を明確にさせたくて融通の利かない子供であったため、そんなAさんとは相通ずるものがあった。

そんな中2のある日、当時自分の通う中学校で行われていた丸刈りや部活動偏重、道徳教育の軽視など、自分が疑問に感じていた問題を文章にまとめて担任の教師に手渡した。

社会を問う文章を

文章のための裏付け

Aさんからいろいろなヒントはいただいていたが、文章としてまとめるからにはしっかりした裏付けが必要と思い図書館で教育問題に関する本を何冊も借りて来て、できるだけ客観的な文章になるように心がけた。

担任に読んでもらうことに

担任の教師は私の個性を尊重してくれる方だった。

文章を手渡すことで学校側に何か要望を伝えたかったわけではなかった。

ただ、自分が抱いている考えを先生に読んでもらって、何らかの意見が欲しいという純粋な気持ちからだった。

こうした文章をワープロで書いてプリントアウトして先生に渡すということが何回か続いた。

あるとき、担任がたまたま職員室の机の上に私の書いたプリントを置いたままにしていたことがあったようで、そこから他の先生も読むようになったらしい。

個別に感想を伝えてくれる先生も出てきたり、楽しみにしていると言ってくれる先生もいた反面、「ああいうものを書いて・・・」という風な態度を出してくる教師もあった。

職員会議の議題に

卒業してから色々なところから聞いた話をまとめると、私の書いた文章は職員会議で問題となったことがあって、一部の先生からは「このままああいう文章を書かせて置いていいのか」「適切な指導が必要なのではないか」といった否定的な発言もあったらしい。

それでも担任を始め最終的には責任を取るからと私を守ってくれる場面もあったようだ。

Aさんにもその文書は手渡していた。

人に文章を見せるのは本来恥ずかしいものだが、自分が正しいと思って主張するこの手のものについては何ら照れや恥ずかしさがなかったのが不思議だった。

子供を伸ばそうとする覚悟

文書を手渡して数日後、Aさんはわざわざ家に訪ねてきて、うちの親を交えて「こうした文章はこのまま絶対に書き続けること」「個性を大切に育むこと」「もし中学校でこうした文章に対して教師から何か言われることがあったら、教育として間違っているから校長に抗議するから遠慮なくいってほしい」など話して帰られた。

だから文章を書いている

もし中学2年から3年という敏感な時期、この担任とAさんのサポートがなければ、今頃文章を書くということそのものをやっていないかもしれない。

まとめ

私の場合、教育ひいては社会と関わるきっかけとなったのが中学校だったわけだが、義務教育から離れた高校生であっても学校の校則によって自分が正しいと信じる主張がスムーズに表現できないおそれのある政治活動届け出制については、自分の経験上、非常に心配をしている。