時間、この世でもっとも苦手なもの

幼い頃から、時間というものの感覚がつかめないまま、すっかり大人になってしまった。

この世で、一番私が理解が難しいもの、それが時間であり、この地上では時間は極めて等間隔に過ぎていく。

異なる時間を持つ人たちのなかで

時間

体感的に時間が伸び縮みするものだというまま学生になり、社会に出て、そして年を重ねているも、今でも時間こそもっとも不可解な存在だ。

人がそれぞれ持っている時間の感覚は違う。

時間の感覚が違うということは、すなわち個人個人で本質的な時間そのものが異なるのであって、メートル原器のような時間は一つも存在しない。

こうした時間の真理は物理学や量子力学で議論が繰り広げられてきたところだろうかが、そうした科学的な真実がどうであれ、時間感覚をつかむ、時間を守る、時間に寄り添うといった感性はついに私はつかめないまま死んでいきそうだし、そういったことに長けた人が社会で生き抜いていけるのだろうと思う。

時間を超えるということ

20代前半、肉体と精神の成長バランスがちぐはぐな時期が誰にでもあるが、私はよく幻視を観ていた。幻視というより、時間をトリップするというか、失神の一歩手前の段階がしばらく続くというか、気がつくと2時間も時が経っていたこともよくあった。

今年の神社巡りで痛感したのは、日本の土地から日本の時間が浮き上がってきてて、日本本来の時間とのズレが出てきてること。これは割と大地というものが流動化していく、あまり良くない感覚である。

しかし、日本のこの現在の実態を非常によく表している現象だとも思えるし、そうしたところから日本は世界に先駆けて変化を経験していくのだろう。